修正的カースト主義について
はいどうも皆さんこんちわ、ぼっちです。
1年1ヶ月の歳月を経て、ようやくビッグボインマグナムG7教授をお呼びできます
【なぜ、ブログでこんなクソ語りを?】
まず前置きからね。
そもそも当ブログで書こうと思ってたジャンルは、どっちかと言うと僕の思想体系に関してなんですよね。
日頃Twitterをやるにあたってクズ発想をわりと普通に垂れ流してるわけですが、その発想が生まれた背景とかもちゃんと説明しておこうかなと考えたのがこのブログのきっかけです
なのに今まで書いてきた記事といえば懐古厨おじさん(21歳✊)の趣味だとか雑魚スマホへの溢れる愛を語るばっかで・・・
せっかくなんだからもうちょい人生哲学をしようや...😅
ということでようやく真面目な人生考察シリーズをスタートさせるに至ったわけです
僕の持論では世の中は自身を含めクズばっか(これはそのうち記事を書こうかと。)なわけですけども、まあそれは仕方ないとして、せめてクズなりにポリシーは一貫するべきだと考えてます
僕はこういう奴だけど、そこに妥協の余地が無いのならばお互いのために関わらないようにしようね、って言えた方がいいですからね
ネット文化にお馴染みの言葉だと、苦手な人はブラウザバック、ってやつです
この精神ほんと大事。
これ一見冷たいポリシーに見えますけど、僕はむしろこの前提があるからこそ“温かさ”を感じれるんじゃないかと思ってますよ
これについても詳しくはそのうち。
とにかくこのクソ独り語りによって、僕のポリシーを宣言しておき予防線を張っておこうという魂胆なのです
なんかサービス使い始める時に利用規約に同意させられるじゃん?
あれと同じノリだよね
これを読んでる皆さんが「あっ、このぼっち生理的に無理だわ😫」って早めに気づけるための材料にしてもらえればおk。
もちろん悉く僕に共感してしまうような物好きの出現も待ってますよ!!!
あとはそうですねー、少なくても僕は葛藤の末にクズなぼっちになっただけである事も示せたらいいなぁなんて考えてます
【カーストはありまぁす!】
では本題に。
修正的カースト主義って何?と聞かれたら実は簡潔に答えられます
現実のものを修正したカーストを想定して、それを盲信する。これだけです。
ただ僕のぼっち人生を決定付けてしまった理論をたったの1文で説明してしまうのはあまりに虚しい...。
そこでこの記事では長ったらしく理論の成立過程含めて語る次第でございます
さて、まず僕が勝手に言ってる修正的カースト主義の前提観念からお話しましょうか。
・・・と仰々しく言いましたが簡単な話で、見出しの通り僕はこの世の中はカーストだらけだと思ってます。
20年ちょっとしか生きてないキッズですがこれは既に疑う事のない価値観として定着しています
でもこれはぶっちゃけ多くの人が勘づいてる点だと思うんですよ。説明(゚⊿゚)イラネって感じなのでは?
だって世の中みんな“上”に立ちたい人ばっかでしょ?
その“上”の度合いが控えめだとしても、たぶん平均以上は譲りたくないんでしょ?
みんなそんな発想してるんだからそりゃカーストは出現しちゃうよね
カースト要因としては
・身体的特徴
→顔、体格、体質、運動神経
・社会的特徴
→職業、学歴、金、家柄
・謎要因
→性格?キャラ?運?
といったところがあるんですかね。
いわゆるステータスと呼ばれるやつですよね(謎要因は今回は置いときましょう)
学生くらいまでは身体的特徴が、社会人以降は社会的特徴が根強くカーストを構築する傾向があると聞きます
もちろんカーストが構築されてたところで激しい人種差別のような事は起こりませんので気にしないで済むなら良いのですが...
まあ色々な場面での有利/不利に結びつくのは間違いないので気にしちゃいがちですよねぇ
カーストに固執する事が本質的に正しいのかは置いとくとしても、1度しかない人生を楽しく生きるためにカーストを見据えて動きたくなるのは自然な発想ですね
だから人々はカーストの下でステータスのために色々と努力するんです
そしてその成否が残酷なカーストを色濃く映し出すのですし、またそれによってカーストが維持されていくのですよね
いわゆる勝ち組になれればそのまま人生謳歌すればいいし、承認欲求高い人なんかはイキったりするんでしょう
一方で負け組になったら......負け組同士で気にせず楽しむとか、あと結構あるのは勝ち組を蹴落としにかかるとか?
絶望やルサンチマンに浸る的な、思想に逃げ込む僕みたいなどうしようもない底辺ぼっちもいますよね😭
ま、とにかく程度に差はあれ残酷な現実があるのは事実です。
といっても日本は資本主義の国だし、そもそも社会秩序モデルの話の以前におよそ生物って競争を勝ち抜く運命ですからね
そういうもんなのでこういう現状があるのは多少はしゃあないです
でもね、ここで人によっては反論を出すと思うんです
「賢くて自律的な人間様が、まるで虚像のようなカーストに合わせた動きをして苦しむなんてしんどいじゃん・・・」
こういう意見も仰る通りだと思います。
考えれば文明のおかげで自然災害くらいしか天敵も無くそして日本はありがたい事に世界一平和なので、純粋な生存のための競争なんてのはまず必要ないですもんね
そんで社会統治のためにカーストが必要という言説があるとしても、そもそもカーストで苦しむ人が多すぎるなら果たしてカースト社会は維持されるべき共同体なのか?なる問いが出てくるし・・・
結局は自己顕示欲旺盛な勝ち組が作ってる文化が、そういう人達によって受け継がれ続いてるだけの硬直化した虚像なんじゃないの?と。
メートル法を頑なに拒絶するアメリカみたいな厄介さを感じてしまいますね
脱カーストに通じるような話は色んな場面で話題にされてて、意識高い人が「周りを気にして何になるの?」みたいな発信をしてるのも本当によく見かけますよねぇ
世間のくだらない既存の価値体系に合わせないとハブられたり見下されていく、、なんてのは実に馬鹿げた構造です
それぞれの個性を尊重し合ってみんなハッピーな社会を目指せばいいじゃんね
【だから僕はカーストを意識する】
お察しの通りまあ僕も人生について独り常に思索に耽ってきたクソ陰キャなので、上述したような脱カースト思想について検討しなかったわけではありません。
ですが僕は当初から漠然とカーストは否定できないような気がしてました
結果的に僕のぼっち論が深まれば深まるほどこの予想は理論で正当化されていきました。
たしかにカースト上位が何だよ!とは思いますよ?
世間で言われるステータスってどこまで本質なの?って疑問は僕も当然に抱いてきましたからね
でもまず最初に、ここでカースト下位の奴らにはこんな問いかけをしたい。
それなら君はカースト上位の人達にどんな楽しみを与えられるんだい?
底辺な自覚がある僕はいつだってこれを自問するようにしてますよ
同じくいつもこれをちゃんと自問してる自信がある人はこの項目は読み飛ばしてくださいね👍
いいですか。社会というのは貴方のために存在するわけじゃないんですよ
貴方はかけがえのない一個人として社会に包摂される権利を持ってますけども、だからといって貴方の周りの人が何の見返りもなく貴方を迎えにいってあげる義務を負うわけじゃないんです
貴方が既に持ってるお友達は義務感からお友達になってくれたんじゃなくて、貴方と居ると何だかんだ楽しいからお友達になってくれたんですよ?
だから新しく親しい人間関係を築きたいならば、まずは自分自身が相手にとって魅力的な人間になるしかないんですよ
君は僕と居て何も得るもの無いだろうけど僕は君と居ると楽しいから居座らせてね、っておかしいでしょ
これは友人関係にだろうが恋愛関係にだろうが当てはまる話ですよ
後者についてはステータス思考が定着しているように見受けられますけど、前者についてはイマイチこの原則を忘れてる人が多いような気がしますね
相手に何かを求めるなら同じものを自分が与えないといけないなんて当たり前じゃないすか?
等価交換です。ピンとこない奴はハガレン1巻から読んでこい
カーストってのはこの当たり前な事を繰り返した結果の一側面です
同じ階層に居るという事は何らかの価値基準において同程度と判断されたからなんでしょうからね
人々がギブアンドテイクを繰り返していった結果、お互い同じくらいの価値をもたらし合える人達同士で固まってっただけですよ
ここでカーストというものを今までの文脈で言語化するならば、一般的な「魅力」の源泉である身体的/社会的特徴をピックアップして、その属性を基にそれっぽく優劣付けた階層構造であると言えそうです
だとしたら「相手と同等の魅力を自分が持ってるか」が「相手と同等の階層に自分は居るのか」という自問になるのは自然では?
すなわちカースト主義に行き着くんですね
カーストの存在を否定したり或いはカーストに合わせつつも陰で毎日のように愚痴りまくってるのならば、とりあえずこの観点でもう一度自分を見つめ直すべきですね
こういう自然な発想を有してるからこそ、僕はコミュニティに生まれるカーストの概念自体は否定しないし、そして自身がそれを意識して行動するようにしているのです。
こうやって言語化するとね、みんな「そんなの分かってるもん...😢」って言うと思うんですよね
嘘つけ絶対分かってないゾ
まあ分かってたとしてもね、浅く考えてるだけで自身のポリシーに結びつけるまでには至ってない人が結構多いんだと思いますよ
君ら、本当に自分の立ち位置分かってるか?
自分は何だかんだそこそこ人から好かれてると根拠無しに思い込んでないか?
あるいは自分は独自路線を歩んでもそれなりの人が向こうから歩み寄ってくれると傲慢になってないか?
そんな魅力的な自分だから、特に何もしなくても当たり前に好きな人と付き合いを続けられると慢心してないか?
...世の中にはカーストに縛られてるくせにカーストをあまっちょろく考えてる人が多いように思いますね。(※クズぼっちの感想です)
【自分が覚悟出来るカーストを設定しましょ】
さっきはちょっと問いかけをシャープにしすぎてしまいました。
やっぱ底辺ぼっちの目の付け所は狂ってるね
まあとにかく当たり前だけど、人間関係においてはギブアンドテイクが大事なんです。
さて、そうなると疑問が生じるんですよね
なぜ僕達はそんな当たり前な事の表れであるはずのカーストを、(上述のように自身を見つめ直していたとしても)100%受け入れるまでには至らないのか。
なぜ時に当たり前な構造に対して不満や軽蔑の念を抱き、親しい仲間内や裏垢でそれを愚痴ってしまうのか。
ようやくここで本題に入れますね
...といっても結論これまたファッキンシンプルで、要は「そのカーストが“当たり前(※貴方にとって)”から外れてるんじゃない?」って事です。
当たり前とは思えないから反発するんでしょう?
当たり前に受け入れられないから受け入れようとすると疲れるんでしょう?
例えばなんですが「窃盗をしてはいけない」という当たり前な規範なら、別に僕らはこれを遵守する事にストレスを感じないわけですよ。だって当たり前だからね。
ですがこれが「健康に支障出るから酒禁止」だとどうですかね。
は?ってなるでしょう。まず健康に支障出るソース出せやってなりますよね
それでも仮にそれっぽい相関関係を示した論文(実際結構ありそう)が提示されて法制化が実現しちゃったとして、「ソースあるなら納得!僕も法律に従って酒を絶とう!!」ってなりますか?
絶対ストレスに感じると思うんですよね
相関関係が示されたところで僕らにとっての当たり前ってレベルには達しないからね。
...まあ僕は善良な市民だから法律になっちゃったら嫌々守るけどね
貴方が置かれてるそのコミュニティのカーストは真に当たり前な価値基準のみで運営されていますか?
頭イカれた健康オタクがイキって酒禁止令みたいな事やってたりしませんか?
で、先述したみたいに脱カースト的な発想はこういう場面で生まれるんですけど、この流れなら自然ともう1つの発想の方が相応しいと思うんですよ。
酒禁止令に断固反対する。
もしくは酒禁止令なんか出してる奴をdisりまくる
そのままですね?
でもね、ここで脱カーストとか言っちゃうのとは意味が全然違うんですよ
脱カースト論だとこの場合は「酒禁止令とか信じられん!法治国家は我々を苦しめる!法律なんて守るもんか!」って言ってるもんです。
いや違うだろ、と。
あくまでクソなのは酒禁止令なんかを思いついて規範にしちゃう奴です。
全体のために規範を守らせる構図が悪いわけじゃないです
ここで必要な発想は否定というよりは修正です
まあ部分の否定ではあるんで否定という言葉を誤用しないならいいんですけど、とにかく枠組み全体に対してではない点は重要ですね
だから僕は素朴に思うんですよね
カーストに不満があるなら修正していけばいいじゃん、と。
めっちゃ有能で完全孤独で楽しめる(=究極のソロ充)ならばカーストって概念自体を全否定すればいいんでしょうけど、ほとんどの人間はそこまで強くないんですからね
カーストに縛られるのはある程度仕方ないのだから諦めるとして、それなら自分が覚悟できるカーストに修正すればええやん
修正的カースト主義とはその作業によって出来上がった修正済みの(=盲信できるくらいの)カーストを非常に重視してバリバリそれに沿った行動を目指す、ということにほかなりません
想定と運用を繰り返していって「盲信すべきカースト観」を確立していく感じ。
なのでもし僕の修正したカーストが実際のカーストとして起用された暁には、僕はこの世で一番のカースト厨になってることでしょう。
・・・しかし!!!
言うまでもないですが他人なんて簡単に変えられないです
1人くらいなら何とか説得できても共同体の暗黙の秩序となるとまあ無理でしょう
...だから「設定」で終わっちゃう話なんですね
まあそりゃ十人十色の修正済みカーストを現実で共存させられるわけないですからね
共産主義より実現性が無いですね😂😂😂
【「設定」でもこだわる価値 】
こんなに根暗な内容を長ったらしく書き連ねといて「フッ...でも所詮これは俺にしか分からない“設定”の話...。虚しいもんだぜ┐(´д`)┌」ってきっしょ今すぐ歌舞伎町の裏路地のゴミ箱にぶち込まれろ底辺ぼっち!
...と思う方が多いと思うんですが、これは僕的に重要だったりします
なぜなら「設定」じゃなきゃ思う存分に理想論を体系づけられないからです。
さっきも書きましたけどこちとら最初から理想論だってことは分かってるんですね
逆に盲信できるくらいの「究極の当たり前」を好き勝手に設定したいんだから、理想論として論理展開するに決まってんじゃん?って考えっすよ
では次に「究極の当たり前」になぜそんなにもこだわるのか。
そもそも現実的に考えた妥協論じゃダメなの?ってなりますよね
その答えは、僕が普遍的な人物評価の尺度を欲しているからです(前項目で書いた事と実は同じです。そのうち分かります)
こういう事を書くと宗教の原理主義者みたいに感じてしまい我ながら死にたくなるのですけど、メンタル瀕死の状態で言い訳をしますよ
そりゃいくらクズな僕でも人間の多様性は理解してますよ、ええ。
価値観は無限なのだし、○○だからコイツはクソ!って見方はあんましない方がいいです
でもね、さっきの例で言うと「窃盗をしてはいけない」的な、誰が見ても当たり前な見方ってあると思うんですよね
「約束をろくに守らない奴はクズ」みたいな。
こういう当たり前の見方を集めていき様々な価値基準を内包していけば、いつかはそれら集合体をして普遍的尺度が作れるんじゃないかって思想なんですよ
すると今度はじゃあ普遍的尺度とやらが仮にあったとして、人間関係構築に役に立つの?って疑問が出るんでしょう。それを目指す理由が分からない、と。
これがね、僕みたいに弱っちい奴らには非常に役立つんですわ
だってねぇ、、
人間って基本的にクズなので弱者に生まれたのなら「寄らば大樹の陰」が行動原理になりやすいじゃないですか
でも社会は絶対的な「大樹が一つ!!」みたいに分かりやすくはないので、弱者はその時々で簡単に寄る対象を変えがちなんですよね
......そんな状態で信頼し合える真の友情だとか愛情を育めるのか?😅
難しいと思うよ。
スポーツチームで新規加入選手が「チームがリーグ下位に落ちたら上位チームに移籍します(^ω^)」って入団会見で宣言してたらその後応援する気になりますか?
しかもそいつ自身は戦力にならない雑魚なんですよ?
逆に簡単にできる!って反駁してくる人は、一方的に信頼関係作れてるって思い込んでるだけか、もしくは利用し合ってる・同調といった行為を信頼の証だと勘違いしてるかじゃないですかね
結局のところ弱者は自身の心の弱さに打ち勝って、一貫した立場を明示できなきゃ信頼は勝ち取れないんですよ
そもそも弱者の場合って大原則の等価交換すら満たしてるか怪しいんですから。
そのくせ都合悪くなったら寄生先変えるかもってスタンスは舐めすぎでしょ
そう考えた時、弱者は何をすべきかなんて明白じゃないですかね
最初から信頼し続けられると確信を持てるような相手を探す事です
与える側じゃないくせにコロコロとスタンス変えたがるなって話ですよ。己の立場を弁えましょう
相手を見つけたのならあとは恥を承知で寄生させてもらえばいいんですよ
その間に少しでも自分を磨いて、いつか相手からも信頼してもらえるようになりましょう
たぶん弱者である以上はこれしか方法ないと思いますよ
こうなるとスゲェ重たそうな発想に見えてきますけど、そんくらいの価値ある相手ってどう見つけるんですか?
ここで普遍的尺度がそのまま答えになると思うんですよね
だって自分が考え尽くした限りにおいて、普遍的に信頼に値するような人物像がその尺度の上位に位置してるんですからね
そんな相手だからこそ信頼し続けられる確信が持てるのですし、自ずと誠実な付き合いをしたくなるんじゃないでしょうか
そして結果的に与える側になれない自分も、一貫した関係を続けたという点ではある種の強さを発揮できるわけです
普遍的尺度は真に付き合いたい人間を定めるための手段です
そしてこれによって弱者でも一貫性を何とか保ち、弱者らしい醜さを極めないようにしてるんです
言わずもがなこの普遍的尺度こそが修正済みカーストでもあるわけですよ(厳密にはその手段に当てはまるわけですが)
こんなわけで自身の価値観や判断基準を明確にするプロセスになるからこそ、たとえ現実に何も寄与しない設定の話でもこだわる価値があるんだと思ってます
修正的カースト主義を取り入れるメインの意義はどっちかといえばこっちの方なまでありますよ
あと一点だけ付け加えると、前の項目でチラッと書いた「運用」ってのはたとえ設定の話においてでも達成可能なわけですよ
ここでの運用ってのは自分の設定を実際に判断基準として自分が使うって話ですから。
自分でその設定を信じて使ってみて、それで人間関係を見誤ったのなら修正すればいいんです
ちなみにその際には相手のせいにしちゃダメですよ。見誤った貴方が悪いんですから。
こうしてみると、賛否置いとけばまあそれなりに主義って名付けるくらいには筋のある理論でしょ?
大真面目に思考回路を言語化しならこうなっただけで、決して厨二病のノリじゃないんだぜ😂
【なんでそんなに重たい事考えてるの?】
ここまでくるとさっき修正的カースト主義は自分が“覚悟”するため、なんて書き方した理由が分かりますかね?
この思想は自分の精神衛生を高めることが目的じゃなくて、むしろ自分の弱者っぷり・醜さを痛感できる事が大前提です
カースト主義という意味では同じでも、決してどう足掻いたらコミュニティでカースト上位を守れるかを考える理論じゃないです
そもそも序盤に書いたギブアンドテイクの原則に我慢ならない奴なんかは論外なんです
自分が夢見るカーストとはいえ、たぶん他人も自分自身も容赦なく攻撃するものである事は理解しとくべきです
そりゃ人間って概してクソですから、その欠点を晒して理論でボコボコにしてくるに決まってますよ
そろそろ怪しい雰囲気が出てきた事に薄々気づいたでしょうか?
そうです、先の項目までは皆さんとわり共感し合えるような事をやんわりとしか書いてこなかったですけど、こっから先は本格的に閲覧注意ですよ
修正的カースト主義の内容についてはもう説明した通りです。
こっからは軽く、これを取り入れるとどういう発想をするようになるかを書きます。
といっても僕の例しか書けないのでそこはご了承願いたいのですが、とにかく自身が与える側ではないと熟知し開き直って理想論を目指してる僕ともなると、かなーりシビアにカーストを修正する事になります
規制緩和的な修正よりもどちらかといえばむしろ規制追加的な修正がメインです
上方修正よりは下方修正です
例えば僕の場合、
「僕がカースト底辺なのは分かってるけど君らも大概やね」って見方を容赦なくします
君は自分が思ってるよりも価値無いんじゃない?って見方をしがちですね(もちろん立場を弁えてない人だけにですからね?)
でもこの過程こそが大事なんだと思うんですよね
だって人々がカーストに疲れる理由がここなんだもん
「あいつイキってるけどキョロなだけじゃん」「親とか環境に恵まれただけなのになんで偉そうなの?」「ソロ充気取ってるけどぼっちなだけじゃん」......etc
名と実が釣り合わない人々や仕組みに不満を感じるんでしょ?
その感性は大事にしましょうよ
君も周りもみんなクソだよ!
人間関係で答えを目指す時、人々は無意識的でも意識的でもふるいにかける作業をしてるはずです
なので導く答えを良質なものにしたいならふるいを細かく厳しくするしかないですね
別にトモダチモドキ作るのが目的なら何もふるいにこだわらなくてもいいんですよ。どうせそこらのテキトーな石を軽い小細工するだけで通用するんだから。
でも粒が○ミリで揃っている、ケイ素の割合が□%の、焦げ茶色の、サラサラした、無臭の砂が欲しい!ってなったら、そりゃもうふるいに対してありったけの情熱を注ぐしかないでしょう
なんでそんな重たい事考えてるの?って疑問に思ってる奴に逆に僕が聞きたいくらいです
なんで軽く考えてても価値ある人間と付き合えるって思うの?
逆に、じゃあなんでそんな些末な事として片がつく人間関係で悩むの?軽く考えてても困る事無いでしょ笑...とね。
軽く考えている人々に限ってカーストに疲れただの愚痴ってたりした時はね...もう馬鹿じゃねぇーの?笑としか思えないですよね
今更ふるいが云々をお前が語るな。愚痴る暇あったら河原行ってテキトーに石拾ってくればいいだろ笑
僕は何も人付き合いは少数精鋭に絞れだとか、沢山の人と仲良くなんて八方美人で薄っぺらい!なんて言ってるわけじゃないですからね
僕の理論が示唆するのは、ふるいにこだわってないなら結果に期待するなよって事に尽きます。
究極の当たり前を満たすように何重にもふるいをかけて、それでもめっちゃ多くの人が残ったならそれは嬉しい事この上なし。
でも切り捨てる作業を怠ってテキトーな選別しかしてないんならテキトーなものしか残るわけないんです
ゴミが混じってても愚痴るな。重たく考えられない君に相応しい結果だぞ🤭
そんな分かりきった事なのにテキトーに選別しちゃうのはそれが楽だからなんでしょうね
てかテキトーにしないと下手したら自分も除外対象になっちゃうって分かってるからね
だからさっきはボヤいちゃったわけです。甘ったれた奴ばっかだなぁって。
...こういう強い意識の下で違和感を修正してった先に残るカーストは魅力と階層が(自分的には)真に一致してるはずです
つまりそのカーストの頂点にいる人は自分から見て真に魅力に溢れた人間です
じゃあその人を目指すなり、その人に気に入られるように自分を磨くなり、努力すればいいじゃないですか。てか自ずとしたくなるじゃないですか
さっき書いたみたいに弱者はとりあえずこの人を(恥を自覚しながら)大樹としましょうよ
何と実に単純な理論なんでしょうか!!!(自惚れ)
例えば僕はよく“真のリア充”なんて言葉を使ったりしてますが、これはまさに僕の修正済みカーストにおけるリア充層を指してるわけですよ
僕の中で真にカースト最上位に相応しい人物像を想定していて、そこに見合う人のみがシンプルに「リア充」なわけです
だから普段リア充ガーと愚痴ってる僕ですけど、僕としては修正済みカーストでのリア充なら尊敬の対象でしかありません。
そいつらが青春な友情や恋愛を繰り広げているのなら僕だって冷めた目を向けることはないですし、てか自分もああいう風になりたいなと素直に憧れるだけです
彼らのためならインスタ用の写真喜んで撮ったげるしTikTokの動画撮るために俺が居たスペースだって空けてやんよ!
これわりとガチです
じゃあ何で現実世界でこうならないのか。もうお分かりですね?
世間一般のリア充の大半が僕にとっては言うほどリア充じゃないからです。
修正作業で切り落としまくってるからです
これを説明するのがダルいから、普段は“真の”と付け加えたり場合によっては諦めて一括りにしてるんですが。
それこそ重たい過程の末の産物なのだから、まあ簡単に伝わるわけないわ
【この主義の注意点】
注意点はありますよ。まあ散々書いてきた内容から既に察するのは容易でしょうけど。
注意点とはもちろん、修正済みカーストに従って理想の人間関係の構築を目指すなら、自分自身の立ち位置も修正済みカーストを基準に常にシビアに判断すべきという点です
超当たり前ですね
「自分の基準では僕は底辺だけど......ま、現実のカーストでなら“友達”の立ち位置で居れてるから...」とか逃げちゃダメです
自身だけを贔屓しては意味がありません
人間は簡単に甘い方に流れるので注意したいですよね
なのでついさっき僕は世間一般の“リア充”を暗にdisりましたけど、だからといって彼らより僕の方がカースト上だとは思わないですよ
彼らを下方修正してるだけで、それが直ちにぼっちや陰キャが逆転する事を意味するわけじゃないのです
人生そんな甘くねーぞ😂
これって自己肯定のためのポジティブなマインドチェンジではないので✋😅
ここほんと大事。テストに出ます。
何なら自戒するための主義です
なので承認欲求強い系メンヘラな人とかにはオススメしない...ってか伝わらない考えですな
逆にここまで文章読み進めてくれちゃったような人なんてのは、まあ少しは人間関係を突き詰めて考えてみようかなと思わなくもない人も多いと思うので気をつけてほしいです
中でも特に「ゆーて自分はわりと友人居るし!」と思ってる人。引き返すんなら今のうち!
修正的カースト主義を真面目に導入しだすと他人や自分に幻滅する可能性が高いですからね、さっきも書きましたけど。
ここでも楽観思考が働いてくれるなら傷はかなり浅く済むんですけど、もし突き詰めて考えられちゃうタイプだと「私って本当は友達居ないのでは?」って発想に簡単に陥ります
合わせて、酷い自己嫌悪にたどり着くかと。
僕は天才が故に早いうちにこの理論に気づき始めてしまったため比較的耐性があります。
そんなエリートな僕でもたまに死にたくなってくるくらいなので、健常者はスルーするのが無難ですね
特に人間関係分野になるとやたら豆腐メンタルな人は精神衛生のためにも絶対スルーしましょう
大丈夫!君には友達がいっぱいさ!😎
ま、そういうわけで色々と幻滅する覚悟をしとけってのも注意点になりますね
何と言っても、僕みたいな哀しい人間になりがちでしょうから。
【最後に(メリットを書いとくよ)】
こんなヤバそうな思想だしマトモな人間は取り入れない方がいいに決まってるんですが、一応メリットはちゃんとあるよって事だけは強調しときます。
もうそれは1つ!!
「本物が欲しい!!!」を叶えられる(...はず)
ピンと来ない人は『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている』ってアニメを見てみましょう
これね、僕のツイッターのアイコンの人(ぼっちな主人公)が、めずらしく精神追い込まれた際に口に出てしまった魂の叫びなんですけど、こんな思考してる僕は非常によく分かりますよ
もちろん履き違えてる可能性だって否定できないですが。
そもそも彼は僕なんかとは格が違って有能でそもそも与える側なので同一視もできないんですけど、でもまあ理論は似てるんじゃないかなって勝手に思ってますよ
...修正し尽くして描いたカーストをどうします?って話なんですよ
せっかく出来上がったならそれを現実と重ね合わせて見るでしょ?
そうするとビックリするくらい素早く、くっきりと、「本物」が見つかるんですよ
これがメリットです
なんで「本物」だって自信持って言えるのさ?って怪しむかもしれないです
でもそりゃもうこんなに重たい論理繰り返した末に見つかったものなんですから、まずその労力自体が価値を証明してますよね
そしてもちろんその対象は実際に僕のあまりにクソ尖った選別を余裕綽々に乗り越えた対象なんですからね
そんなわけで某プロダクションの社長みたいに「ティンとキタ━(゚∀゚)━!」が素でできるようになります。
で、それがまあ当たります。
よりカーストの最重要部分になればなるほど精度は完璧に近づきます
これのおかげで、低スペックな僕でも人を見る目だけは自信持ってるんですよ
...あ、三国志Ⅷのプレイ時間もだった。
じゃあここまで偉そうに長ったらしく語ってきたお前の修正済みカーストの内容を教えて欲しいもんだな!ってなる人が微レ存かもしれません。
これについてはどっかしらで書いていく...かツイキャスでサラッと独り語りします
とにかく今回は長くなりすぎたからね、別の機会に...汗
ではホントの最後の最後に、一点だけ前もって自己弁護させてくださいね
こんなに長ったらしい気持ち悪い事を君は常に考えてるの?って思った人多いんじゃないすかね
結論、半分正解で半分違います
ってのは僕はもうこの理論が染み付いちゃってるので、あんま意識してる感覚が無いんですよね
例えば皆さんも「こいつ俺と馬合わないな」って直感する事ってあると思います。
それってたぶん言語化しようと思えば出来るし、そこに皆さん独自の理論があるんだと思うんですよね。
でもわざわざ意識して演繹するわけでもなくて、直感するだけじゃないですか
これと同じですね。
なのでこの記事全文をもし読んでくれた暇人にはどうか気味悪がらないでいただきたい
僕の精神はわりと元気なので外面は意外と明るくしてますし、下手すると薄っぺらい人間関係に疲れてるリア充さんよりは精神衛生良いと思いますよ
気味悪いんじゃなくて気持ち悪い思想してるだけですから✋
病んでる(笑)なメンヘラとは違うのでそこは誤解せぬよう。
あっ!メンヘラについても今度語ろうと思ってたんだ!!!
ということで次回の人生考察のテーマは色々候補があって検討中です
今回の話に直結する関連トピックはいくらでもあるんですが、同じく気持ち悪いコンテンツ盛り沢山なので・・・
メンヘラについての話は結構自信あるんですよね。(共感得られそうって意味で)
使い始めたツイキャスとの棲み分けをどうするか次第なので、まあ物好きの人は気楽に待っててくださいな